「米と言う字をよく見てごらん、八十八と書くんだよ(88もの手間がかかる)」 と小学校にも入らない孫に、まさかこのフレーズを使って教えたとは思いませんが、お米(食べ物全般)を粗末に扱ってはいけません。
今日、食事ができることに感謝し、ありがたくいただきなさい。
ことあるごとにこう教えてくれたのは、寝床を共にして育ててくれた私のおばあさんです。
「春先の寒い時分に田んぼを掘り、ナーシロ(苗代)で苗を育て、ターカキ(田んぼ掻き)してターウエ(田植え)すんだ。
そんで終わりじゃねーんだど。まいんち(毎日)田んぼの水回りして、田の草もとんなきゃなんね。秋んなったら、稲刈りしてオダ掛けも作んなきゃなんねなあ。
それから、うじ(家)までリヤカーで運んでイネコキ(脱穀)だ。
イネコキ終わったモミを庭にムシロを敷いて、何日も干してからでないと食べられねえんだぞ。
●●(私の名前)も、トーチャンとカーチャンが寒くても暑くても、土だらけになって畑や田んぼで働いているのを見てっから分かっぺ。大変だなあと思うべ。
トーチャンとカーチャンが、そーゆー思いして作った米なんだから、一粒だって粗末にしちゃだめなんだぞ。
粗末にすっと、バチが当たってお目目がめーね(見えない)、めーねになっかんな」
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あれからン十年。幼かった孫もジイサマと呼ばれる年代になりましたが、バッパヤン(おばあさん)、大丈夫だよ。教えはきちんと身についています。
自慢じゃありませんが、普通の食事作法において、(来客や病気の時は別ですが)ご飯茶碗に飯粒が1粒たりとも付いたまま食事を終えた記憶がありません。
今の日本、残飯などとして捨てられる食べ物の量がすごいんだそうですね。もちろん、賞味期限や衛生面での都合があるのでしょうが、何か釈然としないものを感じます。
”ひもじさと寒さと恋と比ぶれば、恥ずかしながらひもじさが先”・・・ 私には、これを単に笑い話として受け止めることができません。
日本は豊かになったんですねえ。いつまでもこの豊かさが続きますように・・・
青空に稲穂が栄える季節となりました。
ひさびさに、ふるさと農事通信員?の役目を思い出し、散歩コースを田んぼのあぜ道コースに変更してみましたよ。
これが昔懐かし、オダ掛けです。
市場に出荷用の米は、コンバインで刈り取った後、乾燥機で効率的に乾かして出荷されますが、オダ掛けにして手間暇かけ、わざわざ天日乾燥する稲もあります。自分ちで食べる分の米なのです。
何が違うのかというと、ご飯にした時のテリや味が違うのです。まあ、ご飯の微妙な味の違いが分からないということであれば、乾燥機で乾かす方が合理的なんですけどね。
我が家でも、カミさんの実家からおいしいお米を分けていただいてます。そういう意味でも茶碗に飯粒を残したら申し訳ありません。
土手には気の早い彼岸花が茎を伸ばしていました。
お盆が終わったばかりなのに、もう秋彼岸なんですね。いや、暦の進むのが速いこと。
これからの時期、先輩方のブログを拝見すると、きれいに撮れたヒガンバナのオンパレードとなるのですが、自分としては満足のいく写真に撮れたためしがありません。
へへへ、去年も同じような愚痴をこぼしたかな?
今年こそ、いつもと違う写真を撮りたいなあ!!! と思っています。
過去、感動をおぼえた写真が2枚あり、1枚は花を真上から見下ろしたアングル。その放射状の幾何模様がとても美しい写真でした。
もう1枚は、人の目線で見た風景写真。遠くの山だったか、神社だったかに向けて、くねくねとした田舎道が続き、その土手が真っ赤なヒガンバナで彩られた写真でした。
後者はロケーションに恵まれないと撮れない写真ですが、県北の生活道路を訪ねると撮れそうな気もするんですよねえ。
秋晴れの日にでも、のんびりとドライブしてみようかなあ。
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