今週のロードーも頑張りました。庭の芝刈り、第一農園の畑掘りを終わらせました。
本日は休養一日目なので、当然のことながら持病の腰がイテーままです。
そうそう、くたびれることばかりでなく、うれしいこともありましたよ。
今回は視力低下が指摘されるかなと少し心配であった5年目の運転免許更新。まだメガネを使うことなく更新できました。
30分講習時に、先生からは次回の更新は自動車学校での講習になるから、半年前に案内のハガキが届いたら即座に学校に予約しなさい、年代的にこれからの5年間では多くの人が視力低下するので、目には気を付けて生活しなさい等アドバイスをいただきました。
とにかく、これで気がかり事項の一つが消滅。よかったです。
次の気がかりが、アマチュア無線局の免許を返納するかかどうか。今となっては古かぶコールのJG1局長ですが、実体としては20年以上電波を出していません。
無線機の調整はしていないし、HF帯のアンテナも下ろしてしまったし。廃止届を出そうかな・・・
しかし、この後さらにヒマができたら若い時の情熱を懐かしんで、またCWでもやりたくなるような気がするんですよねえ。
今、悩んでいます。免許更新が目前に迫っているのでありました。
ブログ写真の方は、季節にふさわしい珍しい写真でもと思って散歩しているんですが、これと思う被写体が見つかりません。
周囲の風景を眺めながら歩いても、脳裏に浮かぶのは悪ガキ時代の思い出ばかりです。
オダ掛けの稲わらにしがみついているイナゴ。
昔ほどではないものの、実った田んぼ脇を歩くとあちこちの稲穂の間からイナゴが飛び出します。
今の時代でもコヤツらは元気に生き残っているんですねえ。たしかイナゴは稲を食い荒らす害虫だったと思います。
でも食べ物の乏しかった昔は貴重なタンパク源だったようで、自分も麦飯ご飯のおかずとしておばあさんの作ったイナゴ佃煮?を食べましたよ。
手拭いを縫って作った袋に竹筒を付け、そこを入り口としてイナゴを捕っては袋の中に詰め込みます。
捕っては詰め込み、捕っては詰め込み。
そしたら入り口を縛って家へ持ち帰り、袋に熱湯を掛ける。
(ここから先、正確に覚えていません)
袋から取り出したイナゴの腹をへしい(押しつぶす)で内容物を捨て、さらに太い足と羽を取り去って、カラカラになるまで天日干しする。
それを砂糖醤油で煮詰める。
作り方はこんな説明でよかったかなあ、ねえ、おばあさん? と亡きバアサマに問いかけてみる。
懐かしいイナゴの佃煮ですが、今は田舎の「道の駅」にでも寄らないと見かけることができません。
小エビを食べるようなシャリシャリした食感で、見かけによらずおいしいんですけどねえ。
辰の口展望台の駐車場脇には山栗が育っています。
まだ口が開いていないので、食べることはできませんね。
悪ガキ時代には、台風で落ちた栗の実を”肥後守”を取り出して渋皮を剥いて生栗のまま食べていた記憶がよみがえります。
当時は学校から帰るとランドセルを座敷に放り投げて、学童服のまま友達と連れ立ち、野山を駆け回って遊びほうけていたものでした。
折り畳み式の”肥後守”、今でも引き出しの中に置いてあって、楊枝の先を削ったりするのに使っています。
さすがにもう販売していないだろうと思い、ネットを叩いてみたら、ヒエーッ!! 今でも売っているようですが、値段がなんと ン千円!!!
冗談だろ、当時は確か20円かそこいらだったぞ!
ということは、私めはお宝小刀と知らずに気安く楊枝削りをしていたのでしょうか?
念のため恐るおそる小刀の銘を調べてみたら、”登録 竹虎ナイフ”と表示されていましたとさ。家の小刀はリーズナブル小刀でした、残念!
今でこそ家の周囲の道路はアスファルト舗装の太い道路になりましたが、昔は細い砂利道で、脇には写真のような藪があるという道路ばかりでした。
夕方になると、時々ではありますが風呂敷に空の一升瓶を包み、近くの酒屋さんまで父親の飲む酒買いに行かされたものです(一升買いができないので量り売りで買っていた)。
今頃の季節、写真のような藪(ススキの株)にさしかかると虫の音がきれいでしたねえ。
♪ ガチャ、ガチャ スイッチョン リーン、リーン コロ、コロ チンチロリン
唱歌”虫の声”に出てくる虫たちのほとんどが住んでいました。
田舎の家なので、コオロギは毎晩縁の下から、また、日によってはウマオイが家の中に入って来て鳴いていましたよ。
あんなにたくさんいた虫たちですが、今、どこへ行ってしまったのでしょう、家の周りで聞ける虫の声はコオロギだけです。
お月見に飾るススキの穂さえ、近くで採ることはできなくなってしまいました。
インスタグラムに投稿しています
テーマがなく節操のない写真集ですが、お時間がありましたら覗いていただけるとうれしいです。
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