今日のブログ記事は、自称気まぐれ農事通信員としての、そして、安倍首相・都知事・県知事からの特命を受けた現地駐在員としての報告記事にしたいと思います。

まずは、特命事項の報告から。

先日、コロナウィルスの拡散防止のため、テレビで不要不急の外出は控えるようにとの要請を受けました。

私は御意向を忖度して自発的に、若者が不要不急の外出をしていないか昨日パトロールして参りました。

ソーシャルディスタンスは、おおむね1km以上、接近は窓を閉めた自家用車の通行上の事情によるものだけでしたからご安心ください。

最接近は、写真撮影時に認めた数百メートル先で農作業していたオッチャンだけですから、ウィルス感染の心配はないでしょう。

私の管轄地で、唯一賑わいそうな所、辰の口親水公園は入場禁止となっていました。せっかく、春の花見やGWの人出に応えるべく昨年の久慈川氾濫災害から立ち上がったのに、誠に残念な結果となってしまいました。

行政のお偉い様方へ、当地の善良なる若者の皆さま方や県外の良識ある皆さま方は要請にきちんと対応下さっていること、ご報告いたします。

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あぜ道の用水路


いつ大宮田んぼに水が入るのだろうとお散歩しながら気になっていましたが、4月末日頃になってやっと田んぼの畔の脇にある小堀に水が流れ出しました。

昔は、4月中旬には田んぼに水がはられて、GW初日には田植えが始まったと記憶しています。

近年は苗作りから農協さんに頼み、田植えも農協さんに頼む稲作農家が増えているとか、そういう事情が関係しているのでしょうか。

今は、田んぼはきちんと耕地整理され、写真のように給水用の小堀も排水用の小堀もコンクリート製のU字溝となってしまいました。

現地でこうやって撮影のためにしゃがみ込むと土の匂いに刺激され、ウネウネと曲がって流れる小堀、その脇の小道にはレンゲソウ、タンポポ、スミレ、ツクシなどが群生し、所々に咲く菜の花にはモンシロチョウが飛び・・・ 子供の頃の原風景が年甲斐もなく脳裏に浮かびます。

そんなポカポカした、ゆったりした時間、好きです。田舎大好きです!

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田園を流れる排水路


こちら中堀、大宮田んぼの中心を流れる主流の排水路です。

ですので、広い田園でみれば地形上最も低い位置を流れています。

昨年の久慈川溢水時にはこの堀のあたりを最深として、一帯の田んぼが水浸しとなりました。

写真を撮影している場所は、大宮台地から久慈川堤防につながる田んぼの中の生活道路の土手なのですが、田んぼの水が引くのも最後になりました。

災害当時、道路が見えなくなった泥水の中を、タイヤを半分以上水没させて、はるか彼方に浮かび上がっている道路の端をめざして、道路脇に立っている電柱を案内にして恐る恐る走る自動車が何台もありました。

運転手にしてみれば、車がエンコしないか心配だったでしょうねえ。

幼き日には、よくこの中堀でドジョウ、フナ、コイ、ナマズを相手に遊びましたよ。

当時はこのようなコンクリートブロック製の堀ではなく、土を掘り、脇を竹竿を積み上げて簾状にした土留めの堀だったので、しかも真冬でもあちこちに深みが残って水が枯れることがなかったので、たくさんの魚類が生息していました。

春になり、水ぬるむ頃になれば、いたずら坊主どもの良き遊び場になっていたのです。

なつかしいですねえ。

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岩崎堰


大宮田んぼで利用している灌漑用水は、台地の端を流れている母体の用水路(イホリと呼んでいました)の土手に埋め込んだ土管(ドイと呼んでいました)を通して分流し、前出の小堀に流していたのですが、イホリの源流はどこにあるのだろうと子供の頃から興味がありました。

成長するにつれ、大宮町の久慈川沿いにある岩崎地区の堰がイホリの源だとの知識を持ったのですが、それが辰の口堰かな と思うものの、釈然としない気持ちもありました。

この際すっきりしようと調べてみたところ、辰の口堰は常陸太田市側の田んぼを灌漑するため、つまり久慈川の東側の田んぼの灌漑用であり、西側の田んぼである大宮田んぼを灌漑する用水は”岩崎堰”で取水していると分かりました。

岩崎堰で取水していると分かりましたが、岩崎堰なるものを見たことがありません。どこにあるんだろ?

この際、現地を見ておくぞ! 地図を頼りに訪ねてみたら、なぁ~んだ! これだ、ここだったんだ! 状態になってしまいました。 ここなら、今までに何度も見かけていましたよ。

近寄ったことはなかったですけどね。

水戸方面から国道118号線、旧大宮町から旧山形町への境付近、山形バイパスの入り口付近です。道路から見えます。

近寄って、写真を撮って、イホリの源流を確認してきました。

写真左、岩崎堰の立派なお姿。イホリに水を送るためゲートを下ろしています。

写真右、ゲートを閉めたので、土手の反対側にあるイホリの原点には久慈川の水が勢いよく流れ込んでいます。でも、すぐに地下水路に流れ込んでしまうんですね。

その先、どこでまた地上に顔を出すのかまでは分かりませんでした。

堰の脇に立っている高札(PRパネルです。江戸時代の話なので高札としました)によって得た知識。

●水戸藩徳川様の命を受け、永田茂衛門が1652年に建設
●久慈川の岩崎堰は、辰の口堰および那珂川の小場江堰と並び、水戸藩三大江堰の一つ
●現在の新堰は、着手から8年・32億円を費やして平成9年に、2km上流に完成
●堰から、山方町、大宮町、瓜連町、那珂町門部(いずれも旧町名)まで約23km、約755ヘクタールの広大な水田を潤す

と書いてありました。

気まぐれ農事通信員を自称するからには、このぐらいの知識はもっておかないとね。えへへ。

 

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テーマがなく節操のない写真集ですが、お時間がありましたら覗いていただけるとうれしいです。

 

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